どんな赤を思い浮かべますか?
茜色と聞いてどんな赤を思い浮かべますか?
「黄味がかった赤」と言っても、思い浮かべる色は人によってだいぶ違うかもしれませんね。
そうです、色の幅が広いのは草木の自然の色だからこそ。
古代染料のひとつとされる「茜」をめぐる、京都・美山のプロジェクトのお話です。
高貴な万葉の色、あかねいろ
聖徳太子が定めたとされる冠位十二階における衣冠の色は、位の高い順に、紫・青・赤・黄・白・黒とあり、染料となる草木が貴重なものから上位に制定されたのではと言われています。
紫=紫草、青=藍、赤=茜、黄=黄膚、白は無染色、黒はドングリなどの木の実(諸説あり)。茜は紫と青に次ぐ高貴な色として、古来から日本茜で染められてきました。
あかねさす 紫野(むらさきの)行き 標野(しめの)行き
野守(のもり)は見ずや 君が袖振る
という万葉集の額田王の歌には、あかねと紫が両方でてきて興味深いですよね。
「あかねさす」は赤い色がさして光り輝いている様で、「紫」や「日」「光」「君」などの枕詞として使われます。
いま私たちが茜色の空と言ったら
夕陽のイメージですが、
当時は朝陽の光のイメージだったようで、日の丸(国旗)の赤も茜染めが最初なんですって。
茜の根っこは、ほんとうに赤かった!
京絞り寺田の四代目親方であり、
この10年ほど草木染に魅せられて
さまざまな植物と格闘…
いえ、対話しているという寺田豊氏から
「日本茜復活プロジェクト」の話を聞いた私が、
畑作業を手伝うという寺田さんにくっついて、最初に長靴片手に美山へ向かったのは2020年の秋のこと。
京都駅からクルマで約90分、京都府の真ん中あたり。まるで桃源郷のように静かで美しい里山が広がっていました。
「日本茜復活プロジェクト」は、美山の自然と人に魅せられ三十数年前に移住した、渡部康子さんが中心となり、農業と伝統工芸を繋げるプロジェクト。渡部さんは「美し山の草木舎」として自然の恵みを生かした地域活性活動を行っていますが、渡部さんと茜との出会いはまさに偶然の賜物であったといいます。
茶の木の間から生えている日本茜をたまたまみつけ、希少で高価な植物である日本茜の栽培に成功すれば地域に貢献できるかもしれないと考えたのがはじまり。私も畑仕事を少しお手伝いして、その名の通り根が染料になるので慎重に根ごと掘り出すと、まさに赤根!これが幻の染料と言われる日本茜かー!!とちょっと感動。
染料にするには根をある程度太くする必要があり、2020年当時は3年かかっていたそうですが、様々な分野の専門家が参加することで栽培方法も改良。現在は2年で染料にできるくらいまでに。ハウス設備も使って、単年度収獲も見えてきたそう。
渡部さんは月1回、日本茜楽校という勉強会を開催し、技術を交流。
昨年の茜楽校の参加者が、勤務先の農業高校で茜栽培をはじめたり、輪が広がっているそうです。
「一見雑草のようで強く見えますが寒さ暑さに弱く、種ではうまく育ちません。さまざまな栽培方法を試しているところです」
日本茜伝承プロジェクトへ発展
そうやって5年の歳月をかけて茜栽培を軌道にのせた渡部さんたちは、日本茜の素晴らしさを染色作品として見てもらうことが大切と考え、友禅作家で古代染色に詳しい山本晃さんはじめ、日本刺繍の木村千鶴さん、昇苑くみひもさんらと日本茜を使った作品の展示会を開いて「日本茜伝承プロジェクト」を2019年にスタート。
毎年3月に京都の知恩院和順会館で展示会を開催しています。渡部さんの考えに共感した寺田さんは、この展示会に2020年から参加。
仲間の染色家に日本茜を広め、自身も茜染めの帯やきものなどを意欲的に制作しています。
お陽さま色でパワフルに
日本茜は古来から、染料としてだけでなく薬草としても珍重されてきた貴重な植物。
色々な素材と手法で日本茜の草木染めに挑戦した寺田さん曰く、「茜ちゃんはわがままなお姫様のようだ」と。
ピンクになったかと思えばオレンジに、はたまたイエロー、エンジ色とさまざまな表情を見せるそう。それはまさに太陽の色。
うっすら黄色い日の出の光から真っ赤な夕焼け色までを思わせ、とてもパワーを感じます。そして草木染だからこその、何とも言えない上品な奥行きに魅了されます。
地域の産業を伝統文化と結びつける
「日本茜復活プロジェクト」。
日本ならではの新しい産業としてこれからも注目し応援していきたいと思っています。